入角哲学ノート

哲学者・入角晃太郎の仕事をたどる非公式ノート

論文解説

「双子地球通信」(2024)を読む

分析哲学の古典・パトナムの双子地球論証に、「その論証は何語で書かれているのか」という一点から切り込む応用編。査読誌『人間・環境学』掲載、英文要旨つき。

書誌情報 入角晃太郎「双子地球通信」『人間・環境学』第33巻、15–24頁、2024年12月。
原論文PDF(京都大学 KURENAI)
一言でいうと

パトナムの双子地球論証は「意味は頭の中にはない」(意味の外在主義)を示したとされるが、この論証はそれ自身が地球語で書かれざるをえないことに無自覚である点で失敗している。双子地球という概念装置からは、外在主義も内在主義も導けない。意味の理論について何を語るにせよ、その語りもまた特定の言語でなされざるをえない——これが本当の教訓である。

前提 — 双子地球の思考実験

銀河系のどこかに、この地球と生き写しの「双子地球」がある。ただ一点、水がH₂Oではなく化学式XYZの別の液体である点だけが違う。地球のオスカーと双子地球のオスカー(脳の物理状態まで同一)がともに「水が飲みたい」と言うとき、前者の「水」はH₂Oを、後者の「水」はXYZを指す——ゆえに語の意味は心的状態だけでは決まらず、外部環境を参照しなければ決まらない。これがパトナムの論証(意味の外在主義の導出)です。

従来の批判の多く(ツェマック、シュワルツ、サール)は前提そのもの(「地球語の『水』はH₂Oを、双子地球語の『水』はXYZを指す」)を棄却する形をとりましたが、入角さんは前提を素直に受け取ったうえで、論証が「深刻な自家撞着」を起こしていることを指摘します。

自家撞着 — この論証は何語で書かれているのか

外在主義(結論4a)は「語の意味は環境相対的である」と言います。ならばこの論証の各ステップが何語で書かれているかで意味が変わりうる、ということを結論自身が要求しているはずです。私たちは地球人なので論証は地球語で書くほかない。ところが前提1aを地球語で書くことはできません——「XYZ」なる対象は地球に実在せず、実在しないものへの言及を禁じたのは外在主義その人だからです。仮に書けたとしても、そのとき「XYZ」は地球語内の概念にすぎなくなり、双子地球語は地球語と対等な言語として対置できなくなる。

パトナムの論証がうまくいっているように見えたのは、地球と双子地球をともに見下ろす「透明な第三の言語」を密かに装ったからです。しかし、まさにそのような共通語のありえなさを示すことこそが双子地球論の要諦だったはず。「この言語は地球を離れられない」と言おうとして、地球を離れた言語で書いてしまった——これが自家撞着の正体です(地球語/双子地球語)。

再利用 — 双子地球からのメッセージを読む

では双子地球という概念は廃棄処分か。入角さんは「再利用」を選びます。ここからが表題の「通信」の場面です。地球で書かれた論文「双子地球通信」を電波で宇宙に送信すると、双子地球の規定上、双子地球の私もまったく同一の文字列の論文を書いて送信しており、数万年後、両惑星の受信アンテナが互いのメッセージを受信する——。届いたテキストは、地球上のいかなる対象とも因果関係を持たない「まっさらなテキスト」です。それでも読めるのか。

読める、と入角さんは答えます。私たちは小説の中の「東京」が現実の東京と同一でないことを知りながら、それを十分に了解している。保坂和志の言う言葉の能産性が働くからです。双子地球からのメッセージの「パトナム」は地球のパトナムとは別人だと留意されつつ、地球のパトナムを参考にして理解される——小説を読むように読むことができるのです。

ただしこの読解が成り立つには、「水」以外の大方の語の意味が両惑星で概ね一致していることが要請されます。つまり「双子地球では『水』の意味が違う」という主張(1a)は、それ以外の語の意味の一致を主張することなしには不可能だった。パトナムは1aを立てた時点で、既に外在主義と真逆の主張を含んでいたのです。

結論 — どちらの主義も導かれない

とはいえ、この「真逆の主張」(4b:「水」以外のほとんどの語の意味は両惑星で等しい)も内在主義の勝利宣言にはなりません。4bもまた「In 地球語[…]」というオペレーターの内側でしか言えないからです。結局、双子地球という装置は外在主義にも内在主義にも軍配を上げない。本論文の眼目は特定の意味理論の擁護ではなく——

私たちが論証において何を主張するにしろ、それは地球語で書かれざるをえない、ということを自覚するに到った点にある

「双子地球通信」おわりに(要約)

読みどころ・位置づけ

  • 一見すると独我論ともクオリアとも無関係な意味論の論文ですが、思考の型は同じです。2023年論文が「独我論を語る言語」の内側性を、クオリア論文が「感覚を語る言語」の他者由来性を突いたように、ここでは「意味理論を語る言語」の地球性が突かれます。自分の乗っている言語を消去した「神の視点」への批判という一点で、入角哲学は一貫しています。
  • 「双子」というモチーフの再登場にも注目。2023年論文の「双子だけに通じる言語」では言い争う双子が言語の条件を演じましたが、ここでは惑星規模の双子が「同じ論文を書き合う」ことで、模倣とも同期ともつかない関係が宇宙スケールで反復されます。
  • 久保明教・保坂和志という、分析哲学の外部(人類学・小説論)からの引用が効いており、入角さんの守備範囲の広さがうかがえる一本です。

主な対話相手:パトナム「『意味』の意味」/サール/ツェマック/シュワルツ/ライカン/久保明教『機械カニバリズム』/保坂和志『小説の自由』 → 詳しくは対話の見取り図